子どものときから、私はちょっと悪い癖がありました。
優しい人を見るとうれしくなって、さんざんにその優しさを試すのです。
今でいうと「いじる」ということになるのでしょうか。
その結果どうなるかというと、最後は怒らせてしまったり、疎遠になったりしてしまうのです。
ちょっぴり私の内面を考察すると、「愛」とか「人間」にどこかで絶望していて、「ああ、やっぱりこんなものか」というのを確かめて納得していたのかもしれません。曖昧な希望を持つ不安よりは、諦めの方が確かで親しみやすかったのかもしれません。(ああ、何という暗さ!)
しかし、聖書を通してイエス・キリストという人格に触れて、びっくりしました。
この方の優しさの先には、さらに深くて大きな優しさが有ったからです。
今はどんなに絶望的な状態にいたとしても、希望が無くなることはなくなりました。
キリストの愛が、希望を持ち続ける勇気を与えてくれているからです。
「この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
ローマ5:5