尊敬する牧師の先輩より、質問をいただきました。「聖書を読む若者を育てるのに、どんな工夫をしているのか」、という内容でした。小さな働き手からも学ぼうとなさる態度に、本当に教えられます・・。
特別なことはしていないのですが、わざわざお問い合わせいただいたので、少し文章を書いてお返事しました。
こちらにもシェアしておきますね。
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1.目的
聖書を読むことは、若者に限らずすべてのクリスチャンの基本的生活習慣です。
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
と書いてある。」マタイ4:4
神の言葉によって心に力を得ることで、私達はどの時代のどの状況の中でも、神様の恵みに強くされて生きることができます。心にみことばの力を持たなければ、私達の歩みは不確かで、流されやすいものになるでしょう。
若い内に聖書に親しむことは、岩の上に家を立てる賢い生き方を早くスタート出来る、ということです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」伝道者の書12:1
強制したり、律法主義的になるべきではありませんが、出来るだけ若い内に聖書通読を生活習慣とできるよう、教会は若者を育むべきです。
それは、「教団・教会のため」ではなく、これからの時代を生きなくてはならない彼ら自身のためであり、彼らにみことばを伝えるために命をかけたイエス・キリストをお喜ばせするためです。
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」ルカ10:42
2.実り
私には、田んぼも少なくない地方の町での20年弱の経験しかありません。何百人の教会形成をしたわけでもありません。ただ、「若者が育っているね」と言っていただける教会の働きに携わることが許されました。
聖書を読む青年たちが育ったことが、その理由だと思います。当初青年はほとんどいませんでしたが、聖書を読む子が、聖書に記されている通りに祈り、伝道した結果、友達を連れてきたりして、ある程度の人数になりました。人数そのものよりも、その信仰の歩みが教会の内外に良い証しとなりました。
安心して教会の将来を任せられる次世代が育ちました。
3.教師の姿勢
どうしたらそうなるのか、というのは、それほど難しいことではありません。
おそらく一番大切なのは教師の「姿勢」です。聖書を読むクリスチャンを育てる、ということから目をそらさない。自分自身がみことばに教えられ続ける歩みをする、ということでしょうか。
姿勢が決まれば、その言動に反映されます。それを若者たちは敏感に感じ取ります。強制にならないように、また律法主義にならないように、でも聖書通読というのはご飯を食べるのと等しいクリスチャンの基本的生活習慣であることを語り続けます。
たとえば、小学生のうちは聖書通読は難しいでしょう。でも、「いつかあなたが自分で聖書を読めるようになったら・・」というような言い方で、前もって伝えます。
また、若者と話す時など「今朝聖書読んでたらさー」とか、聖書通読の恵みをシェアします。もちろん説教のなかでも。そうして、なるほどこの人は朝のみことばで得してるんだな、と知っていただくのです。
また、どれほどイエス様がみことばに耳を傾けてほしい、と願っておられるか、日本語に翻訳された聖書があることがどれほどの恵みか、ということを折に触れて語ります。
こうして、若者たちが聖書を知りたい、読んでみたい、と思うようになってもらいます。
教会全体に聖書と共に生きる良き大人のモデルが多いほど、良いですね。
4.伴走
最初は贈呈用のコンサイスバイブルや、リビングバイブルなどをあげて、いつかは自分で旧新約聖書を買うようにさせます。半額サポートなどもいいですが、自分でお金を払わせるのはやはり大事です。
聖書通読の方法そのものは、いろいろな工夫があるでしょう。私はシンプルにノート一冊でメモを取りながら読み続ける方法を教えています。最初に読むのはヨハネの福音書から、を勧めています。
大切なことは忍耐強く「伴走」することです。現代の若者たちがすぐに聖書通読者になれるはずもありません。朝起きたらまずスマホでTikTokかInstagram、あるいはゲームでしょう。
キャンプで燃えて、通読開始しても三日持つかどうか、だったりします。通読ができなかった、という失敗経験で落ち込むマジメな子もいるでしょう。「そうそう、そんなもんよ!ころんだら、起き上がればいいんよー。」とニコニコできるくらいの余裕が大事です。
こうして、教師は付き合い続けます。まず若者が教会にはいつでも来れるようにします。LINE等でいつでも繋がれるようにします。聖書の質問があれば、朝でも夜でも大喜びで答えます。「あなたが聖書に触れていることがうれしくてたまらん!」ということを態度で示します。
ときには一緒にディボーションして、みことばの楽しさを一緒に喜びます。
一つの習慣が身につくのに三ヶ月はかかります。こうして、若者が聖書を毎日読むのが当たり前、になるのは、早くても数ヶ月、ゆっくりだと何年もかかるでしょう。
聖書通読が身についても、伴走は終わりません。同じ通読者として、主の前を励まし合って共に歩むことを心がけます。
5.スペースを与える
最後に、これからの課題についても、触れておきます。
聖書を読む若者が育ったら、彼らにスペースを与えること、を最近思わされています。
教会の運営や意思決定に携われるスペース、です。
若者たちのセンスのほうが、40代以上よりも正確に時代の空気を読み取っています。それに聖
書を土台とした健全な価値観がプラスされるなら、彼らこそ次の時代の舵取りとなる人材です。
聖書を読まない若者には、もちろんそんな責任を負わせるべきではありません。
聖書を読む若者を育てたら、彼らに発言させ、またそれに教会が信頼していくこと。それによって健全な教会の歩みが進むのだと思います。
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おまけ:かつて聖書通読の電子書籍も書きました。(こちら)