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11/11吉備教会礼拝説教「おことばどおり、この身に」ルカの福音書1章35−38節/カオリンのレスポンスノート

吉備教会の青年による、まとめとコメントです。

· 今日の聖書

 「おことばどおり、この身に」 ルカの福音書1章35〜38節

「御使いは彼女に答えた。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
神にとって不可能なことは何もありません。』
マリアは言った。『ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。』すると、御使いは彼女から去って行った。」

 イエスさまと一緒に生きるなら、平安と希望、そして愛を知る。
 そして、イエスさまを信じるということは、「イエスさまと生きる生涯を受け入れる」こと。
 この恵みをすべての人にお伝えするために、ここに教会がある。

 マリヤはイエスさまを胎内に宿した。
 結婚する前にみごもる、しかも救い主を・・。途方も無いできごと。

 神様からの途方のない恵みを受け取るという点において、私達とマリヤは重なる。
 

 今回の箇所でイエスさまを信じるということについて、学ぶことができる。

 第一に、「イエスキリストは一方的な神様からの恵み」である。

「御使いは彼女に答えた。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。

 それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。』」ルカの福音書 1章35節

 マリヤは当初御使いガブリエルが言ったことを否定した。それが彼女にとって大き過ぎる知らせだったから。
 世界の救い主を宿すのが少なくとも私ではない、とマリヤは思ったはず。
 しかし、御使いはこれは聖霊の働きです、と宣言した。私たちの技能や能力は関係ない。
 私たちは土の器であり、私たちが素晴らしいのではなく、私たちに住んでくださっている救い主が素晴らしいのである。
 私たちがすることは受けとめるだけ。
 誰も誇ることはなく、共に感謝していく。
 共にいてくださり、住んでくださっている方が素晴らしい。


 私たちは今日マリヤと同じく、私と共に主がいてくださることを大いに受けとめる。
 この私の内に主が住んでくださる恵みを感謝しよう。

 第二に、信仰も恵みである、ということ。

 信仰を持てる、そのこと自体が神様からの恵みである。
 つまり、神様を信じられるように神様がしてくださる。救いは、イエスさまを信じるだけで与えラエルが、その信仰も神様からの恩寵である。

「『見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。

 不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。

 神にとって不可能なことは何もありません。』」ルカの福音書 1章36~37節

 御使いがエリサベツについて触れた時、マリヤは思っただろう。「あれは確かに神様が起こされた奇跡だ」と。
 神様は前もって奇跡を与えてくださっていた。。
 こうして、一つの奇跡が次のもっと大きな奇跡を受けとめられるようにしてくれる。

 クリスチャンは生きる限り神様のより素晴らしさを味わうようになる。神様の愛を知り続ける人生。

 聖書の中の「信仰」の意味は、日本的な「信心」ではなく、「信頼」という意味に近い。信じて委ねるということ。
 神様が「主」でそこに従っていく。神様が信じれるようにしてくださる。

 37節に「神にとって不可能なことは何もありません」とあるが、これは「神が語られたことに不可能はない」と訳せる。神様からの口から出ることばに不可能はない。


 最後に心に覚えておきたいことは、「信じることは人生を明け渡すことである」ということ。

「マリアは言った。『ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。』すると、御使いは彼女から去って行った。」ルカの福音書 1章38節

 マリヤは御使いによって語られる神様の言葉を受け入れ、信じた。
 マリヤは「あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と言う。彼女は主のみことばに人生を委ねます、と言っている。

 信じるというのは神様のおことばに身を委ねること。

 自分の人生にちょっと神様を付け加えることが信仰ではなく、自分の人生を明け渡すことが信仰。そこには覚悟も必要である。
 人生は、神様によって変えられる。
 神様が私達に出会い、造り変え、愛の中で満たし続けてくださること、それを受け入れることが信仰。

 私を通して誰かが救われることを願い、天の御国で永遠に神様と生きる。
 イエス・キリストを信じるということは、大きな決断。この決断ができるところまで、神様は導いてくれる。

 聖書は言う。神様が私たちと共にいてくださること。イエス・キリストは私たちのために十字架にかかり、私たちの罪を赦してくださること。イエスさまとともに永遠の御国で生きることができることを。

 これらのおことばに人生を明け渡すこと。
 それが「信仰」である。

 聖書は素晴らしい書物。
 このことばと共に生きていきたい。

〈コメント〉

 今日のみことばを感謝します。

 神様からみことばが語られているのに、それを受けられないことがあります。
 自分の心の中で「そんなうまくいくはずがない」「そんなに簡単なことじゃない」と思ってしまい、受けられないことがあります。
 でも、すべての思い煩いを打ち明けて、神様の言葉だけを信じて委ねていくといつも平安が与えられます。

 ことばを語ってくださっているのは神様なんですよね。神様が言われるのであれば不可能なんてないんだなと改めて思わされました。

 マリヤは信じて委ねて「おことばどおりにこの身になりますように」と言ったように、私も神様の言葉を聞いて、はじめは受け入れられないかもしれないけれど、それでも神様の御心を求めて生きていきたい。
 神様が語られるその言葉を信じ、身を委ねていくことができるように。
 そして、これからも神様の素晴らしさを知り続けるものとなりたい。

 そう思うことができたことに感謝です。