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真夜中に、「あ、そうだあれ忘れてた!」と教会へ。用事を済ましたあと、パジャマのまま、礼拝堂で祈りました。
なんだか、あれこれの気にかかること、難しいことがあるような気分だったからです。
ひざまずいて、「天のお父様」と呼びかけ、いくつかのことを挙げて祈りだしたら、すぐに平安が与えられました。
何というか、差し出すそばから「はいはい。私がするよ」と神さまが引き受けてくださる感覚でした。
ああ、そうか、吉備教会のすべてのことは神さまが全責任を負ってくださるんよなー、とあらためて思わされたことでした。
なんだか深刻な思いだったはずなのに、たちどころにニコニコさせられたのでした。
「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。」
箴言10:22