聖書を学びに来られている方が、時として「お言葉ですが・・」と疑いを口にされることがあります。
私はそういうのって良いな、と思うのですよ。
いい意味で批判的(クリティカル)であるのは、本質を受け止めようとする意志の健全な表れだと思うからです。
すぐには疑問が解決しないときもあります。
そういうときは、一緒にゆっくり答えを探す気持ちになれたらな、と願います。
「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、
非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。」
使徒17:11