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優秀だからでも、将来性があるからでもなく

 今日ある方と開いた聖書の箇所は、イエス・キリストが12弟子を選ばれたところでした。

「・・・さらに、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダを任命された。このユダがイエスを裏切ったのである。」マルコ3:18-19

 しかし、この選抜の基準は本当に不可解です。

 優秀な人が選ばれているわけではないのです。多くは田舎の漁師さんたちでした。他にも、思想や職業、あるいは性格的にもちょっと難有りの人々です。

 「でも将来性があるから」ということでも無さそうです。なぜなら、結局キリストを裏切るユダも選ばれているからです。

 では、いったいどういう基準でイエス様は彼らを選んだのでしょう。

 今日私が思わされたのは、イエス様は「ただ愛を注ぎ続けたかったから」という理由です。

 投資をすれば、あとでしっかり回収できるから(社会ではほとんどがこれですよね)、という選抜ではないのです。

 どんなに愛しても無駄に終わるかもしれない、でも愛し続けよう、そんな思いの中で一人ひとりは選ばれたのでしょう。

 その中に、私も。