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Rさんの証し/聖書を信じるということ

· いい一日でした

 本日の礼拝の中で、Rさんが証ししてくださった原稿を本人の許可を得て載せておきますね。

 聖書をどう読むか、ということの大切さを思わされたことでした。

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 「わたしが道であり、真理であり、命なのです。」(ヨハネ14:6)とイエス様は言われました。

 真理とは、いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道、という意味だそうです。

 私の人生は、まさにこの「ずっと変わることのない信頼できるもの」を探す歩みだったと思います。

 クリスチャンになる前、私は、両親からの愛・周りの人からの評価・学校の成績・仕事の成功・異性からの愛、そのようなもので、自分の価値を確かめようと必死でした。

 でもそれらはことごとく不確かで、私を満足させてはくれませんでした。

 そして、自分で自分を高める努力も限界で、疲れ果て…ようやく観念して、クリスチャンになることを決意したように思います。

 ですが、正直なところ、受洗の理由はイエス様の十字架の意味が理解できたからではなく、自分の力で生きることに疲れて、何かにすがりたかったからだと思います。

 そのせいか、受洗後も自分が本当に救われているのかがわからず、ずっと不安でした。

 また、あるクリスチャンの方との交わりの中で、「聖書には抜けがある…書き換えられている」と言われ、私の中に聖書に対する疑いが入りました。

 聖書も100%は信頼できないのか…と「御言葉=神様の言葉」と純粋に思えませんでした。

今振り返ると、聖書を自己啓発本のような感覚で読んでいたように思います。

 それと並行して、世の中で良いとされている本や動画から情報を得て判断基準にすることも続けていました。

 そんな状態が続く中で、私は地球外の宇宙意識からメッセージを受け取るスピリチュアル系の情報に惹かれるようになります。

 「自分の心惹かれるもの、楽しいことをすればいい…それこそ正しい道だ。」という内容です。

 クリスチャンの内には聖霊様がおられるのであれば、自分でよいと感じたことが正しい…というのはあっているように思えました。

 私はスピリチャルな情報にどんどんはまっていき、ついには、臨死体験から真理を悟ったと語る人の本に辿り着きました。

 そこには「死後の裁きはなく、すべての人が無条件に大いなる愛の一部として一つになる」ということが書いてありました。

 私は自分が本当に救われているのか自信がなかったので、「この考え方のほうがいいな…」と思うようになりました。

 ここまで書くと、Rさん大丈夫!?と思われているかもしれませんが、ここからが神様の凄いところです。

 ちょうど一カ月ほど前、クリスチャンの母と話をしているとき、ふとしたことがきっかけでこの臨死体験の本について話をすことになりました。

 すると母が「この話を信じるということは、イエス様が必要ないということよ。聖書よりも、この著者の体験を信じるの?」と言いました。

 私はこの時ようやく目が覚めました。

 結局、クリスチャンになってからも、神様を100%信頼できず、苦しくなり、また自分の力でなんとか真理への道を探そうとしていたのです。

 でもそんな私を、イエス様の存在が引き留めて下さいました。

 「このままではいけない。私にはやはりイエス様が必要です」と、スピリチャルな情報から完全に縁を切ると決意しました。

 そして、斉藤牧師からもう一度、基礎から聖書の学びをしていただくことになりました。その中で死海写本の存在も知り、聖書の不変性も確認できました。

 すると今までになく御言葉が新鮮に響いてきて、私をどんどん励ましてくれました。

聖霊によらなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。(第一コリント12:3)

あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。

その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまっていなさい。(第一ヨハネ2:27)

 私の内には、イエス様の十字架の贖いと復活を信じて罪許された証拠として、聖霊様がいて下さいます。

 以前は救いの確信がなく、あれこれとこの世の情報を集めていましたが、今は「御言葉に信頼していいんだ!」と心から思えて、すごく心が軽やかになりました。

 それからは、毎朝の祈りと聖書通読が守られています。

 疑いなく、純粋に御言葉を味わえる喜びのおかげです。

 横道にそれてしまった私を、あきらめず導き続け、本来の歩むべき道に戻して下さった主に心から感謝します。

 これからも主の御言葉に養われながら、この吉備教会で皆さんと共に歩んでいきたいと願っています。

 ありがとうございました。