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「縁を切るべき人」について

 Twitterでこんな質問を頂いたので、私なりの返事を書かせていただきますね。

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■さいとうからのお返事

 質問ありがとうございます。そして、お返事がとても遅くなり、ごめんなさい。通知に気づかずにいました。

 さて、とても大切なことをお尋ねくださり、ありがとうございます。

 「殴られても」とか「気持ちを殺して」という表現にドキッとしました。

 質問者様は、たしかに「関係を切ったほうがいい関わり」の中にいらっしゃるのですね・・。

 「共依存」ということばをご存知でしょうか?

 問題行動を取る人と、その人との関係を切れない人とで、互いに依存してしまっている関係性のことです。

 問題行動を取る人は、誰かに依存し、あるいは犠牲にして自分の行動につじつまを合わせるわけですが、依存されている側も、そういう立場に身を置くことで「役に立っている」「私がいなければ」というふうに思い込んでいて、実は互いが互いに依存しあっているのです。

 これはお互い不幸な関係で、問題行動を取る人はいつまで経っても改善することがありません。なぜなら、そんな自分を許容し、あるいは助長し、さらにいえば必要としている存在がいるからです。

 質問者様のおっしゃっている関係が、この共依存にあてはまるかどうかは分かりませんが、ともかく「関係を整理する/切る」方が長い目で見ると相手のためになる場合、というのは少なくないのです。

 質問者様は「ブロックすると悲しむな・・」という優しい気持ちが働いて、良くない人だと分かっていながら継続してしまうとのことですが、「こうするほうが相手のためだ」という仕組みが見いだせたなら、どうぞ思い切ってブロックしたり、「あなたとはしばらく距離を置きます」ときっぱり言ってよいでしょう。

 誰かのことを本当にケアできたり、救ったりすることのできるのは、神様だけです。私たちは神様ではありません

 相手のためを思って、(もちろん自分の心を守るためにも)、すっぱりと関わりを断って、その人のことを神様に任せてしまって大丈夫です。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。

 神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

 第1ペテロ5:7