信徒さんから、本当にうれしい言葉を頂きました。
ずっと「そうありたい」とは願っていたけれど、そんな日が来るだろうか、と思っていたことでした。
「説教を聞いていると、斉藤先生が消える時があります」
「消えて、何が残るんですか?」
「みことばです。」
涙が出るほどうれしいことばでした。
私のことばではなくみことばが、私ではなくキリストが残ること、それが説教者としての夢でした。
おそらく、先日記事に書いたことと関連するのだと思います。
→「私の説教ではない」
教会に生かされ、教会のことだけを考えて語らせていただく、そのとき説教者は幸いな恵みの伝達者とならせていただけるのですね。
今、このようにして働かせていただけることを感謝します。
これからも、焦ることも慢心することもなく、教会とみことばに仕えていけますように。
「あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。」第2テモテ2:15