「大胆に神の御前に」 ヨハネの手紙 第一 3章19〜24節
私たちの生活や行動を1日振り返って、自分の行動と心に一致が生まれたら幸せなこと。心においても行いにおいても、一致がある。それはイエスさまが私たちに与えたい恵みの生活。
その恵みの生活をするためには、神様からの賜物である「愛」が秘訣。
心に愛があるなら言葉にも行いにも愛が生じる。しかし、心に愛がないのなら、言葉や行動にズレが生じてしまう。愛がない心で相手の心が癒されることはない。
大切なのは、どんな言葉をかけるか、どんな行いをしようかでもなく、まず心に愛をいただくこと。心に愛をいただくことで、心と体に一致がある。
「そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。」
ヨハネの手紙 第一 3章19節
神様の御前で心安らかにされる。これこそが本当の平安。私たちは自分の心と体のブレで疲れてしまう。しかし、愛は心と行いを一致させる。
「たとえ自分の心が責めたとしても、安らかでいられます。神は私たちの心よりも大きな方であり、すべてをご存じだからです。」
ヨハネの手紙 第一 3章20節
愛に根ざした行動をしたのなら、くよくよしなくていい。それが人にはどんなに小さなことのように見えても、神様からしたら小さいことではない。愛によって行動したのなら、神様がそれを知ってくださり、喜んでくださる。
愛に生きようとする人を神様は喜んでくださる。
「愛する者たち。自分の心が責めないなら、私たちは神の御前に確信を持つことができます。
そして、求めるものを何でも神からいただくことができます。私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。」
ヨハネの手紙 第一 3章21~22節
愛によって生きようとする人は神様を喜ばせている。
イエスさまと一緒に生きているかどうか、がすべて。イエスさまと繋がっていれば結果はついてくる。神様の子どもとして生きていくことができる。
「大胆さ」とは、神様に対して言いたいことを全部言えること。
大胆な信頼を持って、神様にお伝えする。
愛に生きようとする人は必要なものを大胆に神様に請求してもいい。神様は私たちに「大胆に求めなさい」と言ってくれる。
神様が行けと言われた道は行くべきであり、その旅に必要なものを神様が与えてくださる。
愛に生きようとするなら、それは神様への最高の贈り物をしている。
イエスさまはその恵みの生涯をするために来てくださった。愛し合うことをしている人は、大胆に求めたらいい。
「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」
ヨハネの手紙 第一 3章23節
神様の命令とは2つある。
1つ目は御子イエスキリストの御名を信じること。2つ目は互いに愛し合うこと。
重要なのは1つ目。
「御名」というのは実体、存在の全てを信じるという意味。
イエスさまがしてくださった、全てのことを信じる。
神の子であるイエスさまが私のために死んでくださった。それを割引きしてはいけない。
イエスさまの愛を受けとめることを拒否してはいけない。
イエスさまの御名を信じることを実行していく。この愛を受けとめる時に2つ目ができるようになる。
1つ目のない、2つ目は苦行。
愛し合えないのは1つ目が欠けているから。イエスさまを信じること。イエスさまは「わが愛にとどまって、愛を受けとめなさい」と言われる。その命令を受けとめる時に、一致があり、愛し合うことができるのである。
「神の命令を守る者は神のうちにとどまり、神もまた、その人のうちにとどまります。神が私たちのうちにとどまっておられることは、神が私たちに与えてくださった御霊によって分かります。」
ヨハネの手紙 第一 3章24節
神様の愛を愛のままで受けとめる時、御霊によって私達の内に神がおられることを知る。御霊は、愛し合う者へと私たちを導いてくださる。
愛なきクリスチャンは存在しない。御霊を消してはいけない。愛し合うという命令を打ち消すことなどできない。
イエスさまが「愛を受けなさい」そして「愛に生きなさい」と言われる。
この2つの命令を大胆に応えていく。
私たちは愛されるためにここにいる。今いるところから一歩ずつ近づき、大胆に祈り、神様の前を歩んでいく。
「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」
ヨハネの手紙 第一 1章7節
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〈コメント〉
今日のみことばも感謝します。
イエスさまの愛を受けとめること。
イエスさまの愛は受けとめきれないほどの溢れる愛。その愛を受けることができる私は本当に幸せな者です。
イエスさまの愛を受けとめることで私たちは周りの人を愛することができる。
本当にそうだよな。と感じます。
自分はどこかで「周りの人を愛さねば」と自分で思うことがあります。
でも実際、私には愛する力はない。
イエスさまの愛がなければ、愛を受けとめなければ愛することなどできない。その事を改めて思わされます。
どんなに心が騒ぐような時でも、不安や恐さを覚える時でも、まずイエスさまを見つめ、イエスさまの愛を受けとめること、そのことが大切なんだよな、と思わされました。
私もそのイエスさまの愛を受けとめて、互いに愛し合う者へと変えていただきたいです。
週の初めに、今日も愛する兄弟姉妹と共に礼拝を捧げることのできた、今日を感謝します。
愛するお一人お一人がこの1週間も守られていますように。
岡山でも災害がありました。その中でも大きな災害があった地方もあります。どうか、その災害があった方々の上に慰めと平安がありますように。