牧師の働きをしていていつも思うのは、「人間のわざではない」ということです。
牧師がどんなに弁舌をもって説教しても、またプロフェッショナルなカウンセリングができたとしても、それで人が救われるわけではありません。
人を救うのは信仰であり、信仰が宿るかどうかは、神さまのわざです。
牧師は、神と人との出会いの現場に立ち会う栄誉にはあずかれても、その出会いに手出しすることはできません。
人を救うのは神さまご自身です。
そして、人為的ではない救いは永遠の意味を持ちます。
その大きなわざの現場で、為すべきことをさせて頂けることに感謝します。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。
成長させてくださる神なのです。」第1コリント3:6-7