礼拝の中で、しばしそれぞれで祈る時間を持ちました。
その中で、私は「私が一番願うことは・・」と思わされました。
自分のことを祈る、という習慣は私にはほとんどありません。神さまが、私よりも私のことをよく知っておられ、一番良いように取り扱ってくださるのを知っています。
やはり、祈ることは教会のことです。
この吉備教会が、どんな教会になることを私は願うのでしょう。
大きな群れになることでしょうか?強い群れになることでしょうか?
私の心に思わされたのは、それらとは少し違う教会の姿でした。
思い浮かんだのは、小さくても、弱くても、とにかくキリストのいのちにひとりひとりが生かされる教会でした。
苦難の中でも、元気いっぱいのときでも、イエス・キリストの愛で、みんなの心が明るく照らされる、そんな毎日を全員が送ることを、私は願います。
主が、この祈りを聞き届けてくださいますように。
一人ひとりを愛してやまない主は、きっとこの祈りを聞き届けてくださることでしょう。
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
神はその願いを聞いてくださるということ、
これこそ神に対する私たちの確信です。」
第1ヨハネ5:14